2025.1.10
「子どもがかわいい」「楽しい」だけじゃない…教育実習の先に見えたものは何か?
特集
鳥取大学在学生で教員志望のタッカーさんは、教育実習を通して多くの喜びや学びを得ましたが、そこには指導者としての葛藤もありました。実習中に感じた「楽しさ」の先に見えたものとは何か。子どもとの関わりを深める中で、彼なりに見つけた答えはどのようなものだったのでしょうか。
「2週間があっという間に過ぎていきました」
教育実習を終えた私の口から出てきたのは、この一言だった。皆さんはこの言葉を聞いた時、私の教育実習経験をどう想像しただろうか。「子ども達に囲まれて楽しかったんだな」「やっぱり教員という仕事は大変なんだろう」……。そのような声が皆さんの方から聞こえてくる気がする。これらの声は、私自身も抱いた感想である。しかし、原稿を書いている今、長く、だらだらと話す普段の自分ではなく、教育実習の感想をこの一言に短くまとめられている自分がいることに驚いている。「2週間があっという間に過ぎていきました」という一言にまとめたものの、そこに収まらない葛藤があったのは確かだからだ。
自分を見つけるために飛び込んだ教育の道
読んでくださる方の中には、将来教員を志したいと考えている人、教育の道に進むことに対し迷いを抱いている人もいることだろう。実を言うと、私も大学に入学する頃は教員の道に進もうか迷っていた。周囲の期待は「教員なんてやめておけば。県庁などの公務員に就職してよ」。私の気持ちも「とりあえず教員免許だけは……」。教員という道にそこまで強い思い入れはなかった。自分の将来像すら明確に描くことなく、大学3年目に突入してしまった。「地元に残ったうえに、何も学ぶことなく大学生活を終えるのか」。大学生活を送らせてくれる両親に申し訳ない気持ちしかなかった。
ある日、そんな大学生活に光が差し込んだ。「公立小学校での学習支援ボランティア」。小さい頃から児童クラブに通っていたのもあり、小さな子どもと関わるのは好きだった。教員免許も小学校を取得しようと考えていたので、「自分のことを知るためにも、まずは新しい世界に飛び込んでみよう」。大学3年の春の事だった。
そこから、週に2回ほど公立小学校にボランティアとしてお世話になることになった。大学に入ってから小学生と関わっていなかった自分にとって、「先生!」と駆け寄ってくる子どもたちが可愛かった。「この問題難しいし」と言いながらも、まわりの子たちと協力して問題を1問でも解こうとする姿、休憩時間は校庭や体育館で思いっきり走り回る姿、自分の興味あることについて一生懸命語ってくれる姿を見る度に、自分の小学校時代の記憶がよみがえった。そのような日々を送っていくうちに、「子どもたちと関わるこの仕事に本気で就きたい」「子どもに好かれるような教員を目指したい」と思うようになった。
笑い、楽しみ、悶えた教育実習と、新たな疑問
この思いは、大学3年9月の教育実習にも引き継がれた。鳥取大学附属小学校の6年生の担当になり、とにかく自分から積極的に話しかけ、子どもの興味関心を集めることに2週間を注いだ。実習初日に行った自分の挨拶も子どもたちの印象に残っていたようで、「先生、バク転してくださいよ」「給食いっぱい食べてくださいね」という声は、教員として子どもと接する自分の毎日を彩ってくれるものだった。附属小学校の6年生たちは休憩時間と学習時間との切り替えが自らできていたので、子どもに指導を行う場面などほとんどなかった。自分の行った国語、算数の授業でも子どもたちが積極的に発言してくれるので、滞ることもなく45分間を終えることができた。「子ども達に囲まれるこの仕事って魅力的だな」。そう思う自分と出会えた実習最初の2週間だった。
大学4年生の5月に行われた応用実習では、自分が行った社会の授業の導入部分が我ながらとても充実していた。3年生を担当し、市の交通の様子について調べる単元を受け持ったが、今流行りのICTを活用し、「乗り物クイズ」を導入部分で行った。子どもたちが「新幹線だ」「モノレールかもしれない」「飛行機かも!」と自分の考えに自信を持って答えてくれる姿に教壇から出会うことができ、本当に鳥肌が立った瞬間だった。遊びの時間では、身動きが取れないほど子どもたちが自分にくっついてくれることがとても心地よかったし、「これが子どもに好かれるという事なんだ」と思えるほど、本当に楽しく充実した日々だった。
しかし、毎日が「楽しかった」だけで彩れると思っていた自分の心にはもう一つ、自分のこれまでの教育観を大きく揺るがす疑問が生じていた。それは、「子どもに対する指導の軸を持っているか」。実は、この疑問は先ほど述べた学習支援ボランティア時代には出会うことが無かったものの、その学校で非常勤講師として勤務するようになった大学3年後期から沸々と湧き始めていた。
それまで、「大学生のお兄ちゃん」「近所の優しいお兄さん」という立ち位置でいることができた自分は、授業とは関係ない行動や言動に対し、注意することもなく一緒に笑っていた。しかし、教壇に立つという身に変わったことで、その対応で甘んじている自分と本気で向き合うようになった。確かに、指導される子どもにとっては、自分の心地よい時間を大人が何かと理由を付けて奪ってくることを素直に喜べないだろう。しかし、現場の教員たちは、たとえ「嫌われ役」になってでも子どもたちに何度も働きかけ続ける。かれらを突き動かしているものとは一体何なのか。今の私に足りない教育観とは何なのか。応用実習を前にして、そのような葛藤と向き合っていた。
子どもへの指導に必要なものは何か
さて、話を5月の応用実習に戻そう。3年生の担当になり、楽しい思い出があった一方で、先ほどの疑問に向き合う場面もあった。例えば、移動教室に向かう際のこと。本来は静かに並ぶべき場面であったにも関わらず、私は子どもたちの話に耳を傾け、相槌を打っていた。
「静かにしなさい!」
担任の先生の一言で我に返ったのを今でも鮮明に覚えている。その時は、子どもの不満そうな顔しか見ることができておらず、自分も「もっと話を聞きたかったな」という気持ちに苛まれていた。「先生になると、こんなことでも注意するのか」とさえ思ったほどだった。その日の最後に、その先生と振り返りをするまでは…。
その日の放課後のこと。自分は正直にあの時の真意を聞いてみた。すると、先生から返ってきた返事は、自分の価値観を180度転換するものだった。
「私たちが子どもたちに指導をする際、必ず気を付けていることがあります。それは、指導には必ず『子どもにこうなって欲しい』という目的や意図が付随しているということです。目的や意図があってこそ、子どもたちを『教える』ことができるのです」
その言葉に思わず「はっ」とした。これまで、自分は「子どもに好かれたい」という思いばかりに囚われ、たとえ子どもが授業中ふざけたり、関係のないことをしていたりしていても見過ごしてきた。そこにいた自分は、「子どものため」に動こうとする人間ではなく、「自分がよく思われたい」「嫌われたくない」という「自分のため」にしか動けない人間でしかなかった。今回も、子どもの話を聞かなければ嫌われてしまうと思い込み、ついつい保身に走ってしまった。
しかし、これまで出会ってきた先生たちは保身ではなく、真に「子どものため」を思って行動されていたことに気づかされた。日頃から静かに並び、移動することができれば、緊急時にも必要な指示が行き届き、子ども自身で迅速かつ適切な行動をとれるようになる。スリッパそろえに関する指導を日頃から行えば、子どもが次に使用する人に思いを巡らせ、他者と共に生きていくための心地よい環境づくりに貢献しなければならないと思える。「今思えば、自分が小学校一年生の時の担任の先生も、『給食を食べてからであれば』、みんなの前で出し物をしたり、楽しい活動をしたりしてもよかったんだよな。あれは、給食後の片づけを見据えて、給食当番さんが困らないようにすると同時に、保育園がみんなと違った自分が他の子たちとつながり、『居場所』を見つけられるようにすることも見据えていたんだ」……子どもの時には嫌い、面倒くさいと思っていた先生の「愛」に気づかされた瞬間だった。
実習を終えた今もなお
実習を終えてから幾月か経った。現在も公立小学校で「教育のプロ」に近づくために子どもたちと関わり続けている。子どもから「先生面倒くさいわ」「ほっといて」と言われることもちらほら。以前の自分なら、「トホホ・・・。」と嘆いていただろう。しかし、指導の軸を持つという新たな観点を手にした今の自分は、その程度ではひるまない。「静かに掃除ができるのって、実はとてもすごいことなんだよ。自分がここまできれいにするという目標に向かって努力できているってことだし、誰かが見ていなくても自分の100%を発揮できることはいろんな場面で生きてくるよ!掃除がんばってみよう!」。今日も目の前の子どもを主語にしながら、目的や意図をもった指導に尽力している。
小学生当時の筆者
タッカー/Tucker(ペンネーム)
鳥取県鳥取市出身。地域学部地域学科人間形成コース2021年度入学。高校まで野球部に所属しており、人とコミュニケーションをとることはとても楽しいと感じる。スポーツは基本左利きだが、私生活は右で送ることが中心であるという少し珍しいタイプ。最近はお香を焚くことにはまっており、精神統一が趣味の一つになっている。
*この記事は、鳥取大学地域学部で取得可能な小学校教諭1種免許状に係る学びを基に執筆しました。