2026.4.7
本番50分間に捧げた、4か月間―「割に合わない」舞台公演制作の裏側って?

いつものキャンパスで出会える
ワンダーなこと
鳥取ゆかりの怪談3話を朗読・音楽・身体表現で届けた公演「真冬の怪談語り」。題材探しから演出、裏方の手配まで、約4か月を費やして迎えた本番はわずか50分。「割に合わない」と自覚しながらも舞台に惹かれ続ける、鳥取大学生・福井朱美玲さんのリアルな制作の記録。
私はこの3年次後期を、演劇に捧げた。所属していた演劇サークルの引退公演と、この記事でも扱う公演「真冬の怪談語り」の本番が1月末に2つ控えていたのだ。怒涛の1月を終え2月を迎えた私は、しばらく抜け殻と化していた。今回この記事の執筆依頼を受け、ようやく動き出した今は2月下旬に差し掛かっている。文章を書くのには不慣れだが、この公演に関わってくださった全ての方々に感謝の意を込め、責任を持って努めたいと思う。
公演『真冬の怪談語り』ができるまで
この公演は2026年1月30日(金)放課後に、鳥取大学芸術文化センターアートプラザにて行われた。鳥取の怪談話を、音楽や身体表現を交えつつ朗読するという構成だ。これは地域学部国際地域文化コース3年次後期の選択授業「パフォーミング・アーツ実践(身体表現)」の一環で行われたものである。10月当初集まった受講生は、各々異なるバックグラウンドを持っていた。演劇サークル所属の私、学内外での演劇経験がある柳瀬梨帆さん、作曲や楽器演奏が得意な竹内千乃さん。そのほかにも受講生はいたが、最終的に公演本番までを共にすることとなったのが、柳瀬さんと竹内さんである。
担当の木野彩子先生から授業の説明を受け、それぞれの経験やしたいことをすり合わせてどんなパフォーマンスをするか話し合った。各々の経験から、演劇や音楽で構成することが漠然と決まったところに、竹内さんから1つ提案があった。彼女はもともと寺に関心があり、知り合いのご住職が受け持っている寺を題材にしてはどうか、というものだ。その寺は鳥取市栗谷町の「広徳山龍峰寺」といい、大通りから少し離れて奥まった場所にあるこぢんまりとした寺であった。県庁日赤前のバス停から徒歩10分ほど、私たちは一度見学に訪れ、漆原苔堂住職から、この寺の歴史や教えについて説明を受けた。

広徳山龍峰寺
寺を題材にすると仮定すると、何か“和”テイストのものを想像する。そこから、当時放送中であったNHKの朝ドラ『ばけばけ』を連想し、怪談をコンセプトにする案が出た。大学図書館で見つけた鳥取の怪談の要約集『因伯の怪談』にて、『ばけばけ』のモデルとなった小泉八雲・セツ夫妻は実際に新婚旅行で鳥取を訪れたことがあり、八雲の遺作には鳥取が舞台の怪談話もあることを知る。それが、日野町中菅に伝わる『幽霊滝の伝説』と、浜村温泉に伝わる『鳥取のふとん』であった。山陰が舞台の朝ドラが放送されている今、鳥取で怪談公演を打つこと、八雲が書いた怪談を扱うことはとても意義深く時宜を得ていると思い、徐々に方向性が定まっていった。
その後も『因伯の怪談』をめくっていると、「湖山池を渡る火の玉」と題された話が目に留まった。湖山池は鳥取大学に隣接しており、身近な存在であるからだ。するとその話の冒頭に、「栗谷の竜峯寺」という記述があった。漢字は異なるが、これはあの龍峰寺ではないだろうか。ご住職に尋ねたところ、この話は龍峰寺の末寺である、今は存在しない高住の「善源寺」が舞台となった怪談だったのだ。この偶然巡り合った怪談話も加え、3つの作品を公演に取り入れる方針となり、各々の原作にあたった。3つ目の湖山池の怪談の原作は全文が古語になっていたが、古典文学専攻の柳瀬さんと竹内さん、さらにご住職の協力のもと、書き下し文と現代語訳が完成し、『高住善源寺の椿僧という僧の死霊のこと』として上演することとなった。
この3作品を扱うと決定した時は、既に12月頭だった。次なる課題は、これらの作品をどう演出するか。原作はいずれも三人称視点で語られている。戯曲化して役を振り分けるにしても、人手と時間が限られていて難しい。悩んだ末に、一人語りが最も怪談の雰囲気に合っているだろうという結論に至った。語り手は、『幽霊滝の伝説』を柳瀬さん、『鳥取のふとん』を私、『高住善源寺―』を竹内さんが担当した。

チラシ制作は竹内千乃さん
当初から出ていた演出案には、生演奏を入れることがあった。そこで、誰かが語り手をしている間、あとの2人は語りの要所に効果音を付けるという試みで、芸術文化センター内のありとあらゆる楽器を総動員した。竹内さんは、公演の雰囲気に合わせた自作のピアノ曲を練り上げていた。また『ばけばけ』で見た、怪談を語る前に蝋燭を灯し、語り終わったら吹き消すという所作が印象的で、私たちもやってみようと蝋燭や燭台を準備した。3話目『高住善源寺―』には、火の玉が湖山池の上を漂う場面があり、それに合わせて不織布を被せたLEDのキャンドルライトを手に持ち、舞台上から客席の間を動いて火の玉を表現するという演出も加えた。
残り1か月、そして本番
そんなこんなで迎えた1月、本番が迫ってきている。私は元旦から裏方スタッフ集めに奔走し、スタッフの決定後、完成したチラシを柳瀬さんと竹内さんが学内外に配って回る。木曜5限の授業枠には到底収まらず、練習に没頭していると気がつけば22時を回っているなんていうことも茶飯事だった。最後の1週間は裏方のスタッフも加わり始めるため、公演全体の段取りを完成させておかなくてはならない。先にサークルの引退公演を終えた私は既に疲れていたが、ここまできたらもうやるしかないという精神で、公演本番まで追い込みをかけた。
迎えた本番日。午前中から集まり、たまに試験や授業で一時抜ける人も居る中、開場時刻になるまで通し稽古や発声練習に努めた。本番は、予想より多くの人にご来場いただいた。まず前説として本公演の概要と、八雲の遺した鳥取の怪談2話の紹介→『幽霊滝の伝説』朗読→ピアノ演奏→『鳥取のふとん』朗読→龍峰寺の紹介と、善源寺との関係の解説→『高住善源寺―』朗読→終演、という構成であった。私の個人的なミスは所々あれど、全体としては大きなトラブルなく無事終演を迎えることができた。前説から終演の挨拶まで、約50分間の公演となった。




公演が終わって
終演後の2月頭、撮影してもらった公演映像を見ながら授業の振り返りをするという集まりがあり、抜け殻の私は何とか大学まで這い出てきた。自分の映る映像を見返す時間ほど苦痛なものはないが、客観的に見ないと分からない事実は多々ある。読み方、表情、姿勢、気になる部分が次々出てきて、自分の伸びしろの長さを感じる。公演全体としては、龍峰寺のご住職との縁もあったおかげで、地域のお寺を生かした非常に地域学部らしい公演になったと感じている。
同時期にサークルも引退した私は、しばらくは演劇から離れて自分の進路について考えようと思っているが、当面公演の予定を控えていない自分というのは久々で、どこか違和感がある。公演の準備期間は生活が不規則になりがちだし、プレッシャーは常に付きまとう。練習中一度もしたことのないミスを本番でやらかすことだってある。それでも観客からすれば本番で見たものが全てだし、それで評価される。我ながら割に合わないことに時間をかけているなとつくづく思う。それでも、いざ終わってしまえば物寂しくなり、気づけば次の公演を企てていたりする。演劇を辞められない人たちの気持ちが何となく分かった気がする、そんな2月であった。でもあんな生活続けていたら長生きできない気がするので、ひとまずは自分の身体を労わり、少しずつ日常を取り戻して行こうと思う。
*この記事は、地域学部国際地域文化コース専門科目「パフォーミング・アーツ実践(身体表現)」を基にしています。
























