2024.6.7
祭りの定番「御神輿」、辛いのに担ぐ理由って?
わたしの地域に
ワンダーあらわる
鳥取県鹿野町の城下町で400年の歴史をもつ鹿野まつり。2年に1度しか行われない祭りで神輿担ぎに挑んだ鳥取大学生の中山明さんによる、自らの身体を捧げて辿り着いた圧倒的体験の記録です。
鹿野まつりで神輿を担ぐ。これは完全な余所者だからこそ経験できたことだった。そうでなければ、あの体の痛みも精神の充実も、一生経験することはなかっただろう。
特異な歓待
鹿野まつりは、鳥取市鹿野町の鹿野城の城下町7町で執り行われる、数えて400年余の歴史を持つ因幡の一大行事である。宵祭と本祭を行い、それぞれ神事と行列の行進を行う。本祭の行進は遅々として進まず、そのために先頭と最後尾で喧嘩になることもあると聞く。その要因の一つは、町の家々で行われる歓待にあるだろう。
2年に一度の鹿野まつり本祭、そこでは行列にかかわる者すべてが城下町7町の住民から盛大な歓待を受け、どこの家へ行っても飲めや歌え、食っては飲めの無礼講となる。お酒を飲みすぎていつの間にか居なくなるもの、そのあたりの道端や軒先で眠りこけるもの、ひたすら宴会に交じり楽しんでいたら役割を忘れたものなども現れるという。
門が開かれた家ならどこに上がってもよく、その家々が気前よく飲み食いさせてくれる祭とは、他では見ることが出来ない。私も、遠慮するのはかえって無礼と思い、勧められるままに飲み食いさせてもらった。
さて、紙幅の都合上、まつりの背景とか具体的な様子などは省略し、ここからは、私自身がまつり当日したことや考えていたことを共有しよう。
未詳の鳥居
神輿の担ぎ手の役割を貰った私は、実のところまつりの準備や片付け、儀式の全容などを完全に把握してはいない。神輿以外には、殿町から城山神社へ続く道に設置される鳥居の飾りつけを手伝った程度か。
鹿野まつりが擁する珍しい風習とは先述したとおりだが、この鳥居もまた珍しいもので、毎回まつりのときだけ設置され、全体を檜の枝葉が覆っているのである。なぜ覆うのかは誰も知らない。理由はわからないままながらも、まつりのためにはそれが必要だった。
身体最大稼働
鳥居の設置後、宵祭の神事ため神輿を担ぐ準備をし、城山神社の神事場へとそれを運んで行った。このとき、神輿は「空」であった。神の車たる神輿は、神事で神をお呼びするまでは空っぽな状態である。それゆえ、神輿を神事場まで運ぶときは、それを何度肩から降ろして休憩してもよい。しかし、神事が終わり、神がそこに乗ると、麓まで休むことは許されない。そして、町に戻ってからも、休むことなく町を練り歩く。
本祭では、担ぐ時間より休憩のほうが長い。そもそも行列が進まないし、我々も家々でご馳走になったり、周囲と談笑したりする。
私の役割は、神輿を肩に担いで運ぶという単純なものである。しかし、その単純なことが非常に辛いのだ。
鹿野まつりで使用される神輿の重量は、町の人によれば数百キログラムである。それを8から10人ほどで担ぎ上げ、町内の各所へ運ぶ。祭によっては、その重さが1トンを超えることもあるというから、今回私が担ぐ神輿は、ただちに肉体が破壊されるような代物ではないように思える。しかし、神輿をどの位置で担ぐとしても、我々の体には数十キログラムの重さが左右片側に圧し掛かる。すると、全身の機能をフル稼働させることが求められる。さらに、その状態で歩きながら掛け声を叫ぶ。黙っていては余計に体が重く感じるから、自然に大声が出、肺機能に負荷がかかり、更に疲労する。こうして、さまざまに苦痛を感じながら、我々は神の車輪として忠実に働き、家々から歓迎される。
捧げた証
体を動かしながら、私はあることを考えていた。
私は、ほとんどの行事の伝統は、効率の対極にあるものだと考えている。それは行事自体が必要ないということではなく、簡略化し、合理的に、円滑に進める方法もあるだろうに、それをやらないということである。
神輿を担ぐとは、見方によれば非効率、無駄、不可解な負担そのものである。しかし、私も、周囲の担ぎ手も、なんら文句を言うことなく、役割を全うする。
このことに、私は気持ちを搔き立てられた。我々は、ときとして、必要な不必要に、己のすべてを投じるのだ!
そして、その非効率性は、ある目的のために己を捧げるということでもある。神輿を担ぐということは、我々の世界に来てくれた神に、己のエネルギーを捧げて歓待するということでもあると思う。
私は余所者だったが、曲がりなりにも神を招く立場である。そこには、何かのお返しが必要だ。しかし、神に差し出せる財産など、私は持ち合わせていない。だから、私が唯一完全に自由に使えるこの体を通して、せめてもの礼を尽くした。その証拠に、私の肩が、背が、凄まじく痛んでいた!
結局のところ、神輿の理由とか風習の理由とか、そういったものは如何様にも理屈付けられる。その意味もまた無数に存在するだろうが、しかしあの時、私は確かに思ったのだ。私は今、人生で初めて、この身を粉にして捧げているのだと。そして、それがただひとつ、明らかな意味であったのだと。
中山明 / NAKAYAMA Akira(ペンネーム)
鳥取市出身、鳥取大学地域学部所属。家族と友人に恵まれ、充実した生活を送っている。昼食時、なじみの店で友人と他愛ない話をするのが最近の楽しみであり、日課にもなっている
*この記事は、鳥取大学地域学部地域創造コース村田ゼミの活動を基にしています。