2023.4.1

「なんとなく」のつながりから見えてくる地域って?

諸道竜馬
「なんとなく」のつながりから見えてくる地域って?

LOCAL WONDERわたしの地域に
ワンダーあらわる

鳥取大学地域学部の諸道竜馬さんは、鳥取県・夏泊漁港の漁師たちの姿から、地域貢献や地域活性化だけではない、地域へのアプローチのあり方を考えました。そこには、幼い頃を一緒に過ごした祖父母と過ごした時間がリンクしていました。

 

夏泊での体験

10月中旬の早朝、私は漁業の体験をさせていただくために鳥取県東部の夏泊の漁港へ向かった。その日は風が強く、漁ができるか怪しかったが、何とか出港することができた。船の中では、船長を中心に様々な指示が飛び交うのだろうと予想していたが、船員は誰一人として言葉を発さず、時化ている海を見つめていた。それはまるで、海の状態を確かめるかのようだった。そして漁場につくと、船員は黙って持ち場に就く。ここでも誰かの指示はなく、巨大な網をいともたやすく手繰り寄せ、巨大な網でその中の魚を掬い取っていく。そこで私は、ある光景を目にした。船員が、空いた持ち場を埋めるように移動しながら作業に当たっていたのだ。持ち場が固定されているわけではなく、自分がどこに就くべきなのかを考えながら行動していた。例の如く、だれの指示も無くだ。大量の魚を船上に挙げる途中では、もちろん網をすり抜ける魚もある程度いたが、漁師たちはその魚を捕まえようとはしない。それが50センチを超えるような大物であってもだ。全ての魚をものの30分程で船に揚げ終わると、私たちは漁港に戻った。すると、漁港に人が集まっていた。船員と同じ格好の人もいれば、明らかに漁師ではない人もおり、私たちが魚の選別を始めるとそれを手伝ったり、少し離れたところからそれを見たりしていた。そして、作業が終わると昼食の時間となった。船上では無言のコミュニケーションに衝撃を受けたが、ここでも私は驚かされた。漁師たちは数人で集まって談笑しながら食事をする人と、一人で食事をする人とに分かれたのだ。学校内でこの光景を見たとしても何ら驚きはないが、私にとって一概に結束力の高い印象があった「漁師」というコミュニティーの中でこの光景を見ることに不思議な感覚を覚えた。

祖父母と私

この体験を通じて、私はなぜか心地よさを感じた。もちろん漁師の方々とは初対面で、会話を多く交わしたわけではない。ではなぜ、心地よさを感じたのだろうか。それは、漁師のコミュニティの雰囲気が祖父母の家での雰囲気とよく似ていたからだ。私の祖父母の家は夏泊と似た小さな漁村にあり、幼いころからよく訪れている。そこでは、祖父母と私はあまり会話は交わさない。相手が何を考えているのか、全てではないがある程度は感じ取ることができる。一つのテレビ画面を3人で見つめ、一つの食卓を3人で囲む。それが終わると、またテレビを見、適当な順番で風呂に入る。この一連のサイクルの中に当たり前のように身を置き、その一員として関わることは私にとっては非常に心地の良いものだ。

 

「なんとなく」の美しさ・心地よさ

夏泊の漁師の方々と祖父母の家、この2つのコミュニティに共通しているのは「なんとなく」のつながりだ。なんとなく周りの空気を読み取って、なんとなく持ち場に就く。そしてなんとなく選別を手伝って、なんとなく食事をとり、なんとなく家に帰る。このつながりは、言葉で説明することが難しい。「空気を読む」という言葉があるが、感覚としてはそれに近いだろう。また、自然とのかかわりを見ると、常に受け身であると思う。漁師の方々は逃げようとする魚を貪欲に追うことはないし、このコミュニケーションの在り方は、現代ではあまり良しとされないものだ。それどころか、悪いものだとみなされることもある。なぜなら、曖昧なものを排除しようとする傾向があるからだ。学校の教育でも積極的な会話によるコミュニケーションが求められるし、受験や終活の面接でもコミュニケーション能力は重要視される。もちろん、言語によるコミュニケーションは社会では必要なものだと思う。しかし、それだけでは人は生きていけないだろう。なぜなら、それは心地よさに欠けるからだ。私はコミュニケーション能力が低く、積極的にコミュニケーションをとることが不得意だ。今までは、それは悪いことだと思い込んでいたが、そうではなかった。夏泊の漁師、そして祖父母と私、この2つの間柄の中の無言のコミュニケーションは、自分たちにとってより良い形へと進化させていったものだったのだ。曖昧であるが、その中に確かな美しさが秘められている。

「自然の中で生かしていただいている」

また、自然との関わりでは、雪の日のことが頭に浮かぶ。祖父母の家は日本海側にあるため、冬は大雪に見舞われることもしばしばある。祖父母を含め地域の人は、それを当たり前のものとしてとらえていた。「まあ、しょうがない」と言って雪かきを始める。このような光景を私は幼いころから幾度となく目にしてきた。夏泊の漁師の方もそうだが、自然を自分たちが制御できるものとしてとらえていないのだろう。「自分たちは自然の中で生活させていただいている」という自然との関わり方にはある種の寛容さがある。この寛容さは意識して獲得できるものではなく、日常の中から感じ取り学ぶものなのではないだろうか。

 

私にとっての「地域学」

この体験から私は、地域とのかかわり方について学ぶことができた。「地域学」というと、地域活性化だとか地域への貢献といった理念だけが先走ってしまいがちだ。実際に私も、自分の地元に貢献したいという思いで鳥取大学の地域学部に入学した。もちろん、そういった思いを持つことは間違いではないだろう。しかし、そうではない地域へのアプローチの仕方もある。私の場合は、身近にある「つながり」に注目することで自分にとって心地よいものを突き詰めていけばよいのだと気付かされた。これから地域学部で学んでいくうえで、このような小さな気付きや自分の感覚を大切にしていきたいと思う。

 

諸道竜馬 / Ryoma Moromichi
鳥取大学地域学部地域学科地域創造コース2年。兵庫県出身。

*この記事は、鳥取大学地域学部地域創造コース1年次必修科目「基礎ゼミ」(村田周祐先生, 2022年度)でのインタビューを基にしています。

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