2023.4.1
先輩に会いに行くvol.1 島根県川本町の因原神楽を見たことがありますか?
あっちにもこっちにも
ワンダーな人たち
大学卒業時に自身の学問研究の成果としてほぼ全ての人が最終学年時に提出する「卒業論文」。その時のその人がどんなことに関心を寄せ、問いを立て、向き合っていたのかが垣間見えるタイムマシンでもある。卒業後、その人はその問いにどう答えを出してきたのか。シリーズ「先輩に会いに行く」は、過去の卒業論文を読みその著者に会いに行った後輩による記録です。
1回目は、生まれ育った島根県邑智郡川本町で1949(昭和24)年から続く「因原神楽」を卒業論文のテーマとした植田晃次さんを、鳥取大学地域学部地域創造コース3回生(当時)の佐藤悠希さんが尋ねました。
2021年10月9日昼頃、私はゼミの同期と共に鳥取大学前駅を出発した。この日の夜、島根県邑智郡川本町(おおちぐんかわもとちょう)で行われる「因原神楽(いんばらかぐら)」を見に行くためである。3時間程汽車に揺られた後、バスに乗り変えて山へと入っていく。川幅はだんだんと広くなっていき、建物はぽつりぽつりとしか見えなくなっていった。同じバスに乗る中学生は、降車までまだ先が長いのかぐっすりと眠っている。
私が所属するゼミでは入ると必ず、ゼミ一代目の植田晃次さんの卒業論文を読む。論文のテーマは、この因原神楽である。その卒論を読みながら、私は祭りの雰囲気に羨ましさを感じた。私は伝統的な地域の祭りというものが無い団地育ちである。何十年も前から脈々と受け継がれる舞とは一体どんなものなのかこの目で見たい、その祭りに対するムラの雰囲気を体験したい、と思い今回の因原行きに名乗りを上げたのだった。
加えて、私は少し緊張していた。メディアで見たことのある神楽は、荘厳な空気が漂っていて緊張感があるものであった。特に今回参加するのは小さな地区の神楽である。私のような何もわかっていない部外者が介入して良いものなのか、無礼を働いてしまわないだろうかという不安があったのだ。
1時間程で「道の駅かわもと」に到着した。1人残っていた中学生は車内アナウンスでふと目を覚ましたが、窓の外を見るとまた顔を伏せてしまった。まだ帰路は長いようだ。降車すると、30代くらいの男性が出迎えてくださった。植田さんである。植田さんは現在、因原神楽を舞う「因原神楽団」のメンバーの1人だ。私たちはこのコロナ禍の中、植田さんから寛大なお心遣いをいただき、この因原神楽に参加することができたのだった。
因原八幡宮
道の駅裏の急斜面に明るい茶色の瓦屋根が並んでおり、そこが今回の目的地である因原地区であった。植田さんのお家に荷物を置いて、会場の「因原八幡宮(いんばらはちまんぐう)」へ向かう。もう辺りはすっかり暗くなっていて、お宮さんだけがぼうっと明るく光っている。鳥居前の階段を上がっていくと既に人が集まっていた。まずは神楽前の祭典儀式である。拝殿にそれぞれ地区内の団体の長らしい方々が座られており、私たちは一番後ろに正座した。参加者は私以外皆男性で、10数人程である。張り詰めた空気の中、第1儀式が始まった。私たちは何もわからないまま、周りの様子を伺いながら所作を真似るのに必死であった。
祭典儀式が終わると、神楽の準備が始まった。拝殿の中は神楽殿の様相に変わり、奥には鮮やかな水色の布地に金色の糸で「因原神楽団」と大きく刺繍された幕がたらされた。祭典儀式では気が付かなかったが、拝殿の真ん中あたりは少し回りより高くなっていてそこが舞台であった。舞台に向かって右側には太鼓と笛のお囃子の人々が座っており、皆華やかな衣装を身に着けている。あまり広くない拝殿に子供、お母さん、おじいさんおばあさんも集まってきて、拝殿の中は満員になった。先程の祭典儀式とは打って変わって、拝殿は賑やかである。子供たちが舞台の目の前を陣取っていて、私たちもそれに並ばせてもらった。特等席だ。太鼓が鳴り始める。笛が鳴り、幕の奥から4人の男性が登場。鮮やかな着物を着た4人は狭い舞台をいっぱいに使いくるくると舞う。あの力強さを考えると、ぐるぐると言うべきか。着物の裾が私たちの鼻を かすめていく。私たちは、目の前で繰り広げられる豪快でありながらもその所作のひとつひとつが繊細で美しい舞を少し見上げるような恰好で見ていた。
「弓取八幡」を舞う植田晃次さん
演目が進んでいき、「弓取八幡」で植田さんが登場した。同じく鮮やかな着物に高い烏帽子をかぶり、笛の音に合わせ自らも回りながら舞台をぐるぐると回る。しばらくすると、恐ろしい顔つきの鬼が現れた。植田さん扮する源頼光と鬼が戦いを始める。何度ももみ合いになって離れ、もみ合いになって離れを繰り返す。流石にこの繰り返しは疲れるのだろう。だんだんと植田さんの顔が険しくなっていくのがわかった。舞台の端でうずくまるようになり、呼吸も荒くなっていく。すると、観客側から「まだまだあ!!」と大声が浴びせられた。それに応えて植田さんも苦笑いを浮かべながら体を動かす。それを境に舞台に向かって野次が飛び出した。
男性陣はお酒も入り、顔が真っ赤になっていて、一升瓶を抱えてうろうろしながら大声で野次っている。女性陣もゲラゲラと笑いながら声を荒げ、加勢する。子供たちは鬼に迫られ泣き叫びながらお母さんの膝に飛び込んでいき、ゼミの同期も鬼に迫られのけぞって、私は構えていたカメラに向かって鬼からピースをいただいた。そこにはもう私のイメージする「神楽」の荘厳な雰囲気はなかった。どんちゃん騒ぎとはこのことである。皆が顔を輝かせ、声を張り上げ、熱気が溢れている。小さな神楽殿に収まっているとは考えられない巨大なエネルギーが、その夜、そこにはあった。
植田さんを含め、住民たちは口を揃えて「昔より参加者が減った」と言っていた。神楽団もメンバーが少なくなってきているそうで、今回はコロナ禍により町外に住む団員が帰って来られず特に少なかったそうだ。しかしその言葉から伝わってくる印象とは違い、因原神楽のエネルギーは凄まじいものであった。厳かな雰囲気からとも、数からとも言えないそのエネルギーによって余計な不安は消し飛ばされ、私たちはいつのまにか住民たちと共に笑っていたのであった。
今回の先輩
植田晃次さん
先輩の卒業論文
「地域にいきる神楽といきる」2007年 鳥取大学地域学部地域政策学科
佐藤悠希 / Yuki Satou
鳥取大学地域学部地域創造コース3回生。鳥取県鳥取市出身。専攻は社会学(生活論)。ご高齢の方々の井戸端会議を聞いているのが好き。高校、大学共に放送部に所属し、主に映像を制作する。1年次に岩美町を舞台としたドキュメンタリ作品で第37回NHK全国大学放送コンテスト映像番組部門決勝進出。現在は絣に魅了され、倉吉絣の技術を学んでいる。
*この記事は、鳥取大学地域学部地域創造コース「卒業研究」(指導教員 村田周祐先生)の調査過程を基にしています(2023年度卒)。