2024.10.4

町内会とともに挑む吉岡温泉の温泉施設「一ノ湯」とは? 松浦聡子さんインタビュー

鬼崎翔太
町内会とともに挑む吉岡温泉の温泉施設「一ノ湯」とは? 松浦聡子さんインタビュー

FEATURE特集

鳥取県東部・吉岡温泉にある「吉岡温泉会館 一ノ湯」。地域の旅館と連携しながら古くから温泉街の中心としての役割を果たすほか、テントサウナや、犬専用の「わんこの湯」などの目新しい企画も次々打ち出して注目を集める施設です。館長の松浦聡子さんへのインタビューを、鬼崎翔太さんがまとめました。

 

鳥取県鳥取市吉岡温泉町は名の通り温泉町であり、風情ある街並みに温泉宿が多く展開している。その町の中でも唯一の日帰り共同温泉であり、町内に10ある温泉宿の温泉の活用基盤としての役割も担う「吉岡温泉会館 一ノ湯」(以下、一ノ湯)。その館長である松浦聡子さんにインタビューを行うことができた。聞くと、自治会で建設したこの施設を、オープンして1年目の就任から町内会のおじいちゃん、おばあちゃんたちと共に作り上げてきたという。

一ノ湯ができるまで

松浦:5年前に一ノ湯を建てるに至った経緯ですが、吉岡温泉もどんどん廃れていってまして、吉岡温泉の以前の入浴施設は老朽化によって、「これはもう古くてもたないだろう」ということで、ここの建物を建てさせていただきました。この建物は2億1000万ぐらいかけて、吉岡温泉の自治会が主となって建てました。自治会って皆さんの町内会と一緒のくくりなんですね。その町内会が2億持ってたんですよ(笑)。

——2億円!? すごい自治会なんですね!

松浦:実は温泉権も自治会で持っています。昭和49年から、温泉を汲みあげる集中タンクからみんなのおうちや温泉施設に配送したりしていて、温泉を使った量だけ自治会にお金が入るように運営しています。集中タンクの仕組みを作るのに、当時で5億かかったという風に言われてまして、それぐらい昔はお金持ちの施設、運営だったといわれています。

——活気付いていた様子が目に浮かびます。吉岡温泉を取り巻く状況は、いつごろから変わってきたんですか?

松浦:同じ昭和49年頃から、旅行需要が変わってきました。以前は大きいバスたくさんのお客さんを乗せて来る団体旅行が主流だったんですけど、その後バブルが崩壊して、旅行需要が家族旅行に代わったのを皮切りに、大きい旅館さんが次々に廃業していったんですね。廃業していった結果、小さい旅館さんだけが点々と残って、現存しているということです。その残り10店舗の旅館さんにいかにして温泉を活用してもらうかを運営として考えている、というのが今です。

——入ってきたときに、館内がたくさん木を使った作りになっていて、居心地の良い空間だと感じたんですけど、もともと建築出身という松浦さん自身も一ノ湯の設計に関わっていらっしゃたのですか?

松浦:そうですね。一ノ湯を建てるのが決まった7年前から、実は新しい温泉施設の建設委員会に携わっていまして、実際に色々とやらせていただいてました。建物については3社から提案があったのですが、町内会で運営しているので、町民さん一人ひとりに「どの雰囲気が合いますか、どのコンセプトが合いますか」とアンケートを取って、この内装になりました。3つの提案のうち、「殿様の湯」をテーマにしたものが、採用された一ノ湯のデザインだったということです。

 

「これからの時代はこれが絶対くるんで!」

——テントサウナも特徴的ですよね。

松浦:そうですね。テントサウナは、実のところコロナ禍をきっかけに生まれたんですね。まず、コロナ禍の最初の一年目を過ごした時は赤字だったんです。まあそうですよね、お客さん全く来ないんですよ。入浴施設でコロナが感染拡大してるんじゃないか、密室だからコロナが感染するんじゃないか、という風に言われてた時だったので、全くもって誰も来てくれない。また、コロナ禍に入ってターゲットを練り直して、シニア層じゃなくてファミリー層や若い世代が楽しい何かができないかなとずっと思ってたんですね。そこで、こじんまりとしたスペースで友達や家族などで楽しめるテントサウナを、コロナ禍が始まって2年目で取り入れました。


一ノ湯HPより

——吉岡温泉にはそれまでサウナはなかったんですか?

松浦:そうなんです。なぜかというと吉岡温泉の源泉が53.1度なんですよ。で、その53.1度の温泉が実際にパイプを通って汲みあげられて、でっかーいタンクがあるんですけど、そこからみんな管を通って各建物に直接配送されてるんですね。で、一切薄めずに蛇口をひねったら出るようになってるんです。これはつまり、熱いっていうのを売りにしているんですね。源泉なので肌にとっても良いし、そもそもサウナがなくてもすでに熱いのよっていう。これがそれまでサウナを導入するに至らなかった理由だと考えてます。

——そんな中サウナを導入するのは大変だったんじゃないですか?

松浦:「サウナを入れて欲しい」っていう声はあって、私も関心を持ってました。それで自治会に提案したら、おじいちゃん・おばあちゃんが「なんでそんなもん、いらんわ!」って猛反対を受けて。でも、「いやいや、これからの時代はこれが来るんで、絶対来るんで!これやりましょう!」って言って、どうにか相談し続けて。「じゃあいいよ、頑張ってね」っていうところまでなんとかこぎつけましたね。

 

目標は奥座敷テーマパークをつくること

——コロナ禍で変わったことは、他にもありましたか?

松浦:大学生をスタッフに雇うようになったのも、ここ2年くらいですね。それまではスタッフの平均年齢が65歳、最年長が84歳でした。一ノ湯では、最新鋭の設備をおじいちゃんたちが使ってて、おばあちゃんが電子マネー使いこなして。なので、いくつになっても働けるんです。学ぶことを辞めちゃうとそこでストップしちゃうので、学ぶことをやめなければ、何歳になっても頑張っていける。そんな感じで、最近は若い世代とお年寄りの方まで幅広い年齢層がそれぞれの立場になって考えられる職場づくりを考えてます。大学生が急に講義が長引いて「ちょっと残ってくれる?」とか、「体調崩したスタッフがいるから代わりに出てくれる?」とか。子育て世代のスタッフは子供が熱を出して迎えに行かないといけないことが結構あるので、そういう時に「じゃあちょっと急ですけど出てもらえますか?」とか。お互いにいろいろとサポートし合える関係性であってほしいですし、すでにそういう関係性でもあります。おじいちゃん 達にとってはほとんど孫なんです、大学生が(笑)。

——最後に、吉岡温泉をこんな街にしたいという夢を教えてください。

松浦:吉岡温泉のテーマとしては奥座敷テーマパークを 創ることを目標としています。かつて湖山池のほとりには防己尾城(つづらおじょう)というお城がありました。また吉岡温泉には篤姫をまつったお寺とか、伊能忠敬が泊まった宿とか歴史的な人物とゆかりの場所もあります。こうした歴史を活かして、旅館と一ノ湯はお殿様が乗った籠で往復できたり、小道から影武者出てきたりしたら面白いなと。奥座敷テーマパークを作るためにぜひ学生さんの力を貸してください。

一緒にインタビューをした仲間たちと

私は、今回この調査を通して、初めて一ノ湯の存在を知り、初めて吉岡温泉町に訪れた。松浦さんにお話を聞き、見えてきた姿は町のために奔走する姿であった。温泉需要の変化やコロナ禍による情勢の変化などの波に揉まれながらも、より良く変わっていく一ノ湯。その背景には、様々なアイディアと強い意志を持つ松浦さんと、議論し続ける町内会の存在があったのだ。

 

松浦聡子さん
吉岡温泉会館 一ノ湯 館長
合同会社TUGIHAGI 代表
大学卒業後、1年間、住宅メーカーにて営業・設計に勤務。その後、3年間講師として勤務し、主人と出会い結婚。小学校・養護学校・中学校の講師をしつつ、建築士資格を取得。建築士としての夢も捨てきれず、建築士として鳥取ガスに入社。ショールーム建設に携わる一方で、クッキングセミナー等のイベントに出演。その後、ショールームにて接客・イベント担当として多岐にわたり勤務し、「接客するということとは?万人に受ける接客とは?」を学ぶ。退職後、クレーン会社の事務員として事務スキルを磨く。一ノ湯館長としてのオファーをいただき、地元活性化も含めてコロナ禍で地道に取り組む。散策ロードの整備、テントサウナ事業、空き家活用の一環として、お化け屋敷事業を立ち上げる。
https://ichinoyu.yoshiokaonsencho.com/

鬼崎翔太/Shota Onizaki
長崎県佐世保市出身。鳥取大学地域学部地域創造コース在籍中。
地元長崎県の温泉施設は行き尽くしたといえるほどの温泉好き。
大学ではアカペラを、学外では地域スーパーのレジ店員をやっている。
風呂上がりはコーヒー牛乳派。

*この記事は、鳥取大学地域学部地域創造コース2年次選択科目「ワークショップ入門」(菰田レエ也先生, 2023年度)でのインタビューを基にしています。

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