2026.7.10

「保育を受けられない子どもたちは、誰が守るのですか?」畑千鶴乃先生インタビュー

藤原 浩高
「保育を受けられない子どもたちは、誰が守るのですか?」畑千鶴乃先生インタビュー

CAMPUS WONDERいつものキャンパスで出会える
ワンダーなこと

保育園に入れず突き返された一人の母親が抱いた「疎外感」。その経験が、共同保育所の立ち上げや認可化、そしてカナダでの子どもアドボカシーとの出会いへとつながっていく。鳥取大学地域学部の畑千鶴乃先生に、これまで歩んできた研究と実践の道のりを伺いました。カメラマンの藤原浩高さんが鳥取大学地域学部の先生を訪ね、紹介するシリーズ「知の森を歩く:鳥取大学地域学部 教員インタビュー」の第三回です。

「入れるわけないじゃないですか」保育園の門前払い

26歳で大阪府立大学社会福祉学部に入学し、共同保育所の立ち上げから認可化まで経験。その後、奈良女子大学での博士課程を経て複数の大学を巡り、2012年より鳥取大学に着任された畑千鶴乃先生。専門は子ども・家庭福祉、保育政策、子どもアドボカシー。「サービスを受けられない人たちの声を届ける」ことに一貫してこだわり続けてきた畑先生の研究の原点は、どこにあったのだろうか。

畑先生のルーツを伺った際に出てきた言葉は意外にも「疎外感」だった。

それは畑先生が娘さんを出産後、大阪府富田林市の窓口で保育園入園を申し込んだ時のことだった。

「富田林市の窓口に行って、『保育園に入りたいです』と伝えたら、『入れるわけないじゃないですか』と言われたんです。その時の衝撃は今でも忘れられません」

当時、畑先生は短大を卒業後、事務職として働いていたが、出産を機に退職。地縁血縁のない大阪で子育てを始めた。仕事に復帰したいと思っても、保育園に入れなければ働けない。しかし、働いていなければ保育園に入れない。そのジレンマの中で、畑先生は社会制度からの「疎外感」をまざまざと感じたという。

「入れないことに対して、誰も問題だと思っていないんです。自分が仕事をしようと思っているのが間違いなんだ、自分は家庭を守りきれていないと、まるで私が悪いかのように思わされる。でも本当は、我が子は保育を受ける権利を持っているはずなのに、誰もそう言ってくれない」

そんな中、畑先生は同じように保育園に入れない親たちと出会う。そして、自分たちの手で保育所を作ろうと決意した。

共同保育所という選択、それは親たちが育つ場所

「共同保育所って、親が自分たちで運営委員会を作って、保育士の先生方を雇って、子どもたちを保育する場所なんです。行政からの補助金はほとんどなく、親たちが毎月の保育料とバザーで資金を集めて運営していました」

畑先生は運営委員長として「共同保育所ともっち」の運営に深く関わった。毎日、保育士と親が「おいたちの記」という連絡ノートを交換し、子どもの様子を細やかに記録し伝え合った。そのノートは何冊にも積み重なり、今も大切に保管されている。

おいたちの記

「このノートを書くために、保育士の先生方は子ども一人一人の様子をきちんと捉えていないと書けないんです。忙しない保育の現場からは『元気で過ごしました』とか『楽しそうでした』ぐらいのことしか書けないはずなのに、子ども一人一人の具体的なリアルを毎日毎日書けるということは、その子を眺める目線に保育の専門性があるということなんです。」

おいたちの記のノート

共同保育所での日記のやり取りの経験は、畑先生に大きな気づきをもたらした。それは、畑先生自身が「ものを書くことが好きなんだ」という自己発見だった。そして、働く親たちの姿に憧れを抱いた。

「親たちは正職で一生懸命働いていて、子どもを園に託しながらも生き生きと社会で活躍している。私もああいう親たちになりたいと思ったんです。そして、保育のことをもっと深く学びたいと思うようになりました」

大学という新たな挑戦、26歳の決断

畑先生が大阪府立大学社会福祉学部を受験したのは、26歳の時だった。社会人入試の存在を知り一念発起し受験を決意。無事合格し娘を共同保育所に預けながら学生生活を送った。

「大学生活と子育ての両立が大変だとは思いませんでした。むしろ仕事の方は、絶対に休めないとか、穴を空けられないとか、調整が大変です。でも大学は自分次第。日中は社会福祉の勉強、夜は共同保育所の運営委員会。一日中保育のことを考えていられるのが幸せでした」

しかし、大学での学びは、畑先生に新たな「疎外感」をもたらした。

「保育士養成課程では、すでに保育園に入っている子どもにどう関わるか、どのようにして『良い保育』をするかという話ばかりでした。でも、まだそこに入れていない子どもたちがたくさんいるのに、その子たちのことに触れる機会がないし、誰も関心を持たない。学問って一体何なんだろうって思いました」

そこから、畑先生は保育士養成課程を辞めるという大きな決断をした。

「『入れていない子どもたちのことを学問が言えていない』と当時の先生に伝えました。だったら自分が一生懸命勉強して、自分が作っていくしかないんじゃないかと思ったんです」

認可化という成果―地域住民が作るサービス

大学2年生の時、富田林市から共同保育所を認可化する話が持ちかけられた。畑先生たちは二つ返事で引き受け、進めていった。それはなんと大阪府下で第一号の認可化だった。

「大学の先生方に『サービスを作っていくんですね』とは言われても、サービス開発という視点はまだ薄かった時代でした。住民の手でサービスを開発して、それを軌道に乗せていく。そこを十分学べたかといえば、学びきれなかった不全感がありました」

その不全感が、畑先生をさらなる学びへと向かわせた。大学院へ進学し、博士課程では奈良女子大学に移り、福祉のまちづくりを研究する中山徹先生のもとで学んだ。

子どもアドボカシー関連の書籍

カナダとの出会い―「これは正当なことだ」

博士後期課程の時、畑先生はカナダに調査に行く機会を得た。高齢者のサービス整備を調査するチームに、子どもの分野も加えて調査してほしいと指導教官から要望されたのだ。

「カナダでは、地域住民が主導しながら、本当にサービスが必要な人たちの声を汲み取って、自分たちの手でお金を集めて、サービスの拠点を作っていました。まさに共同保育みたいなやり方が、カナダでは主流だったんです」

さらに衝撃的だったのは、「子どもアドボカシー」という概念との出会いだった。

「オンタリオ州のアドボカシー事務所を訪問した時、そこの所長がこう言ったんです。『サービスがいくら整備されても、必ずそこで権利を侵害される人が生まれる。だから、人権をちゃんと擁護する機関が必要なんだ』と」

アドボカシーとは、弱い立場に立たされた人たちの声をきちんと守る活動のことだ。子どもは、大人との立場の差の中で、声を届けることができなかったり、聞き流されたりしやすい。カナダでは、その子の声をその子の思いの通りに届けるために公的機関が州ごとに設置されている。それは多文化の社会で、こぼれ落ちやすい子どもの尊厳を守る必須の存在だ。

「カナダに行って気づいたんです。私たちが共同保育所でやってきたことは、普通のことだったんだ。権利が阻害されている人たちの声をちゃんと束ねて、正当な声として社会に訴えていくのは、当たり前のことなんだって」

鳥取大学へ―「地域学部だから何でもできる」

2012年、畑先生は鳥取大学に着任した。函館、大阪を経ての親子での「地方巡業」の末の着任だった。

「鳥取大学では、保育原理や保育内容ではなく、福祉や家庭支援の教員として採用されました。これが私にとって転機になりました。本当にやりたかった、保育園で子どもと共に育っていく親のこと、家庭支援、子どもの権利のことにシフトすることができたんです」

現在、畑先生の研究テーマは、カナダの子どもアドボカシーの知見を日本にもち帰り、子どもや若者の権利の実現に向けた実践を作ることだ。2023年にはサバティカルを利用して9ヶ月間カナダに滞在し、現地に住みながら調査を重ねた。

「日本でも、児童福祉の分野では仕組みができてスタートしました。まだ対象は限定的ですが、子どもの声を聞く仕組みが全国の児童相談所で導入されようとしています。鳥取は一番乗りが好きな自治体なので、試行事業も真っ先に始めました」

研究室の畑千鶴乃先生

「地域学部だから自由に学べる」

最後に、畑先生に地域学部の魅力を尋ねた。

「地域学部って、何でもできるんですよ。どのようにも地域学に結びつけられる。教育学部だったら教員免許を取らなきゃいけないし、社会福祉学部だったら保育士養成課程に縛られる。でも地域学部なら、自分の力でデザインしていって、それが私の地域学ですって言えばいいんです」

何でもできるというのは、何でもいいということではない。畑先生が大切にしているのは、地域で生きるということである。それは、サービスから取りこぼされる人の声に向き合い、住民の手でその場をつくってきた畑先生の歩みそのものである。だからこそ、自分でデザインした道が、振り返れば地域学になる。今、地域学部にいる学生にも、これから地域学部を目指す人にも、そんな気持ちを持ってほしいと畑先生は語る。畑先生自身、学部時代に一度は保育士養成課程の道を断ち、自身を劣等生だと感じた経験がある。しかし、迷いながらも自分で選んできた道は、最終的に博士号を取るところまでつながり、地域で生きる今へと結びついている。

「学生から『地域学って何ですか?』ってよく聞かれるんです。人から教えてもらった地域学を説明するんじゃなくて、自分が歩んできた道をこれが私の地域学ですって言えばいい。迷いながらも自分がやってきた道が、振り返って地域学なんです。そういう人生を歩みたいという人にとって、鳥取大学の地域学部はうってつけだと思いますね」

疎外感から始まった畑先生の旅は、おぼろげだった轍から確かな道となって、今、多くの学生たちに受け継がれようとしている。

畑千鶴乃先生

畑千鶴乃 / Chizuno Hata

1972年兵庫県三田市生まれ。同志社女子大学短期大学部英米語科卒業。大阪府立大学社会福祉学部社会福祉学科社会人入学し卒業。同大学大学院社会福祉学研究科修了。奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程社会生活環境学専攻単位修得退学。博士(学術)2012年鳥取大学地域学部に着任。専門は保育学、児童福祉学、教育福祉学。

シリーズ「知の森を歩く: 鳥取大学地域学部 教員インタビュー」
vol.1 言語学者でも英語が好きではないって本当ですか? 青山聡先生インタビュー
vol.2 鳥取に眠れる美術史があったって本当ですか? 筒井宏樹先生インタビュー

藤原 浩高 / Hirotaka Fujiwara

1996年鳥取県鳥取市生まれ。鳥取大学在学中に総務省統計局共催「統計データ分析コンペティション」にて総務大臣賞を受賞。その後、ジャンルを超えて横断的に活動。学生時代より現在に至るまで、進学指導を中心とした講師として活動。コロナ禍では経済産業省主管の国家事業において山陰エリア統括として多くの事業再生支援に従事。現在、「写真」と「映像」を中心としたビジュアルコミュニケーションを専門として創造産業全般にわたって活動。2024年より個別指導塾「THIS IS NOT A CLASS」を主宰。

PEOPLE WONDER あっちにもこっちにも
ワンダーな人たち

NEWS & EVENT お知らせ

もっと見る