2026.9.25

起業家を目指していた私が「教員になりたい!」と思ったきっかけとは?

坂口貴哉
起業家を目指していた私が「教員になりたい!」と思ったきっかけとは?

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「教員になりたい」から「起業家になりたい」へ。2年前、ワンダーにそう書いた鳥取大学地域学部の坂口貴哉さんは、4年生になった今、再び教員を目指しています。このテキストは、その2年間に出会った人たちと、「恩送り」という一つの言葉にたどり着くまでを描いたエッセイです。

 

「もう一度書きたい」

私は現在、鳥取大学地域学部に通う大学4年生である。そんな私には、大学を卒業する前に、もう一度書いておきたいことがある。

私は2年前、「教員を目指していた私が『起業家になりたい!』と思った授業とは?」という記事を執筆した。マーケティングの授業を通して、起業家という道に魅力を感じたことを書いた記事である。ただ、その頃の私は、起業家になりたいと思いながらも、将来の夢が毎日のように揺れ動いていた。そんな自分の迷いを「成長痛のようなもの」と捉え、記事の最後を「いつか“わたし”なりの答えを見つけられればいい」と締めくくった。

あれから2年。私は多くの人と出会い、多くの経験をし、そのたびに考え、悩み、少しずつ前へ進んできた。大学2年生の頃に書いた記事だけを残したまま卒業するのは、どこか心残りがあった。この2年間で何を感じ、なぜ進む道が変わったのか。その続きを書き残したいと思い、今回この記事を執筆することにした。

 

「とりあえず、やってみる」

2年前の記事を書いた頃の私は、「起業家になりたい」と思いながらも、実際に自分が何をしたいのか、どんな仕事をしたいのか、はっきりとは分かっていなかった。だからこそ、この2年間は「とりあえず、やってみる」ことを大切にしてきた。部活動やアルバイトはもちろん、ガイナーレ鳥取のボランティア団体に入りファンについて調査したり、台湾へ行って野球をしたりもした。漁船に乗せていただいて漁に出たり、東北で雪かきのボランティアをしたり、地元や鳥取県内の祭りに参加したりもした。

こうして並べてみると、どれもバラバラである。ただ、面白そうだからやってみる。誘ってもらったから行ってみる。知らない世界だからこそ、飛び込んでみる。そんなことを繰り返してきた。

特に印象に残っているのが、ガイナーレ鳥取のボランティア団体に入り込んで調査をした経験である。そこには、真夏の暑い中でも、チームや選手、地域のために自分の時間を使って活動する人たちがいた。ファンでありながら、試合中も活動を続けてチームを支えている人もいた。「なぜ、そこまで誰かのために動けるのだろう。」そこには、これまでの自分にはなかった何かがあるような気がした。でも、それが何なのかはまだ分からなかった。

また、大学のソフトボール部で部長を務めたことも、私にとって大きな経験となった。部長になった当初は、どうすれば自分たちの代で結果を残せるのかということばかりを考えていた。しかし、人数が少ない時期にも部を存続させてきた先輩方や、何十年も前に所属し、今も私たちに関わってくださるOBの方々がいた。その姿を見て、今、自分たちがソフトボールをできているのは、多くの人が部をつないできてくれたからなのだと考えるようになった。

すると、いつしか「自分たちの代で活躍できればそれでいい」とは思わなくなった。自分たちが受け取ったものを、できるだけいい形で次の世代に託したい。そう思うようになっていた。ただ、なぜ自分がそう思うのかは、まだうまく言葉にできなかった。

そんな中、大学3年生になった私は、一つの問いと出会った。

 

「世のため人のため」

この問いと出会ったのは、大学3年前期に履修した「社会的起業論」という授業だった。「起業論」と聞くと、ビジネスやマーケティングを学ぶ講義を想像するかもしれない。しかし、実際はそうではなかった。地域で活動するさまざまなゲスト講師のお話を聞きながら、「世のため人のためとは何か」という問いについて、ほとんど毎週レポートを書き続ける授業だった。

初めてこの問いを目にしたとき、私は戸惑った。「世のため人のためとは何だろう。」あまりにも抽象的で、自分には書けないと思った。

そんな中、神戸の南京町商店街振興組合理事長の曹英生さんの講義を聞いた。私自身も神戸市出身ということもあり、特に印象に残った。

曹さんは、阪神・淡路大震災が発生した際、南京町で炊き出しを行ったことを話されていた。

講義が終わり、帰り道に曹さんのお話を振り返っていた。震災の中で炊き出しを行うという、簡単にはできないことをされている。それでも、不思議と「私はこんなことをやりました」という感じは伝わってこなかった。

それまで私は、「世のため人のため」という言葉をどこか大きく捉えすぎていたのかもしれない。何か大きなことを成し遂げること、誰かの役に立つような特別なことをすること。そんなイメージがあった。でも、もしかすると違うのかもしれない。

「世のため人のため」とは、自分がやったことを誇ることでも、何か大きなことを成し遂げることでもなく、自分が受け取ってきたものを、そっと次の誰かに渡していくことなのではないか。

そんなことを考えていたとき、ふと一人の人物の言葉を思い出した。それは、中学時代の恩師が何度か口にしていた「恩送り」という言葉だった。

「恩返しではなく、恩送り。みんなが大人になった時に、自分が受けてきた恩を次の世代へ送ってほしい。」

「これだ。」

その言葉を思い出した瞬間、それまで点だったものが一本の線につながった気がした。

曹さんだけではない。それまで授業で出会ってきたゲスト講師の方々のお話を、もう一度「恩送り」という言葉を通して振り返ってみると、不思議なことに見え方が変わった。

どんなに大きな実績を残している方も、「こんなことをやりました。すごいでしょう」と語っているようには見えなかった。それぞれに行動を起こすきっかけとなる出会いや経験があり、そのことへの感謝があり、だからこそ次の誰かのために行動している。その姿が、私には「恩送り」に見えた。

そして、それは授業で出会ったゲスト講師の方々だけではなかった。真夏の暑い中でもガイナーレ鳥取を支えていた人たち。大学のソフトボール部をつないできた先輩方。そして、中学時代の恩師をはじめ、これまで私に多くの言葉や経験、学び、そして成長するためのきっかけを与えてくれた人たち。

これまで一つ一つ別々のものだと思っていた出会いや経験が、「恩送り」という一つの言葉を通して、つながって見えたのである。

そして、授業最後のレポートで、私はこう書いた。

「何よりも、私自身が中学2年生のときに出会った恩師や、これまで出会ってきた多くの方々から、たくさんの恩=言葉や行動を受け取ってきたことに気づかされた。『恩送り』について考える中で、その恩を私自身が次の世代へ手渡していきたいという思いが強くなった。」

さらに、その直後にこう書いた。

「今の私は、教員になりたいと思うようになった。」

あれほど将来の夢に悩み続け、親にも「教員には絶対にならない」と話していた私だった。しかし、このレポートを書き終えたとき、不思議なくらい迷いは消えていた。

中学2年生の頃に受け取った「恩送り」という一つの言葉。それが大学3年生になって「世のため人のため」という問いと結びつき、私自身の生き方を支える軸へと変わったのである。

 

「学ぶことは、変わること」

大学生活を振り返ってみると、私はずいぶん変わったと思う。教員を目指して大学に入り、マーケティングの授業をきっかけに起業家を目指し、そして今、再び教員を目指している。

これまでの私は、将来の夢が変わることにどこか不安を感じていた。

「自分は結局、何がしたいのだろう。」

「一度決めたことを変えてもいいのだろうか。」

でも、この大学生活で、たくさんの経験をして、たくさんの人と出会った。そのたびに、「こうなのか?」「これ?」「でも、違うか……」と考え、それを何度も繰り返してきた。そして、その先でたどり着いたのが、「教員になりたい」という今の気持ちだった。

知らなかったことを知る。知らなかった人と出会う。やったことのないことをやってみる。そして、それまでの自分では考えもしなかったことを考えるようになる。その繰り返しの中で、少しずつ自分自身が変わっていく。学ぶことは、変わることなのかもしれない。

2年前の記事で、私は将来の夢が揺れ動くことを「成長痛のようなもの」と書いていた。今になって振り返ると、あの頃の私は、夢が揺れていたというよりも、さまざまな経験や出会いの中で、自分自身が変わっている途中だったのだと思う。そして今は、変わることをそれほど怖いとは思わなくなった。むしろ、面白い。

だからこそ、私は教員になりたい。私自身が多くの人との出会いや学びによって変わってきたように、今度は私が、誰かが新しい世界に出会うきっかけをつくる側になりたい。そして、何かを知って、「面白い」と思う。誰かと出会って、今までとは違う考え方に気づく。そして、「自分もやってみたい」と思う。そんな小さな変化が生まれるきっかけを、生徒たちに手渡していきたい。

中学時代の恩師をはじめ、私はこれまで多くの人から、たくさんの言葉や経験、学び、そして成長するきっかけを受け取ってきた。今度は、それを私が次の世代へ手渡していきたい。

それが、今の私が考える「恩送り」であり、これからも大切にしていきたい生き方である。2年前、私は記事の最後に「いつか“わたし”なりの答えを見つけられればいい」と書いた。

あれから2年。あの頃探していた“わたし”なりの答えが、今、ようやく少しだけ見えてきた気がしている。

中学校の卒業式にて恩師と

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*鳥取大学地域学部では、3年生必修科目「地域学総説A」で、地域で活動するさまざまな方を外部講師に招いています。本文に登場する曹英生さん(南京町商店街振興組合理事長)も、2025年度に「南京町の過去・現在・未来」と題して講義してくださった一人です。地域創造コースの選択科目「社会的起業論」(担当:村田周祐先生)では、こうした講義と関連付けながら、「世のため人のため」とは何かについて、学生がレポートを書き重ねて考えを深めています。

坂口貴哉 / SAKAGUCHI Takaya

兵庫県神戸市出身。2023年度、鳥取大学地域学部地域学科地域創造コースに入学。プロ野球チーム「オリックス・バファローズ」や、ロックバンド「back number」の熱狂的なファン。現在は鳥取県内のソフトボールクラブにも所属している。大切にしている言葉は「恩送り」。

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